2014年02月06日

日本に降伏を許さず、何が何でも市民の上に原爆投下『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著

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写真は、『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著



日本に降伏を許さず、何が何でも市民の上に原爆投下『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著

 日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米政府によって公式に無視、あるいは拒否された。事実、1944年の早い段階から、日本政府の内部では完全敗北とみなしうる条件の受け入れが真剣に検討されていたのだ。

 米戦略爆撃調査は1946年7月、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば行われていたことを確認している。

 同報告によれば、1944年2月には日本指導部の多くが、この戦争には勝てないと判断し、妥協による和平努力を主張している。しかも、この「妥協による和平」は日本の戦前の地位を引き上げようというものではなかった。寧ろ、高木惣吉海軍少将は、日本は朝鮮と台湾の放棄を前提にして交渉すべきであると主張していたのだ。

 1944年7月には、和平派は東条内閣を倒すところまで力を強めていた。そして後継内閣は最高戦争指導会議を設置した。その主な仕事は戦争からの離脱だった。


 1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」

 いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。


 1945年5月9日付けのワシントン・ポストは、日本の降伏条件について伝えたシカゴ・サンのフレデリック・クー記者の記事を転載している。それは、日本軍部の全面降伏、中国から奪った領土と戦争中に占領した全領土の放棄を求めたカイロ宣言を、本土は占領しないという条件で受け入れるというものだった。同記者が伝えた和平提案は、米戦略爆撃調査が報告する日本政府の協議内容と一致している。クー記者はまた、米国務省が4月にこの和平提案を受け取ったと伝えたが、これに対して国務省は公式提案は何も受け取っていないと答えていた。

 5月12日、ハルゼー提督が「太平洋の某所」で従軍牧師グループに語った話から判断すると、戦争状況を把握する立場の人は日本の和平工作を予測していたようだ。同提督は日本が間もなくかなり積極的に和平打診をしてくるだろうが、「日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰して、はじめて戦争目的は成就する。我々はそこまで徹底しなければならない」と語っている。

 スチムソン元陸軍長官は1947年2月のパーハーズ・マガジンに「原子爆弾使用の決定」を正当化する記事を寄稿した。即ち、1945年7月、日本がソ連を「交渉による和平」の仲介者とする「試案」を同国に提示したことは事実だが、この「曖昧な提案」は「日本が主要な占領地域をそのまま保持する」ことを考えているもので、受け入れることは出来なかった、というのだ。しかし、スチムソンはこの説明を裏づける証拠資料を出していないし、「占領地域」が具体的にどこをさしているかも語っていない。興味深いのは、占領後日本から送られてきた公式報告がスチムソンの言明より、クー記者の「情報」を裏づけしていることだ。


 ソ連の仲介を求める日本の要請に対して、ソ連は明確な回答を避けていたが、これはアメリカの承諾があったようだ。日本の代表団は受け入れられなかった。7月、連合国首脳はポツダムに集まり、日本の運命を決めることになるが、その際近衛公が同地に赴いて和平案を提出することも許されなかった。

 殆どのアメリカ人は日本が軍事的に弱いことを知らなかった。前線からの報道は、少なくとも6ヶ月間に亙って、日本の戦争機関が急激に失速していることを窺わせる事実を送り続けていた。しかし、私たちの宣伝担当者は、最後の最後まで「百年戦争」とか「滅びるまで戦う覚悟の狂信的国民」という言葉を使っていた。

(ここまでP143〜144)

(中略)


 米戦略爆撃調査の報告によると、日本政府は直ちに通告内容の検討に入った。政策決定グループ「6首脳」(訳注=最高戦争指導会議。首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長で構成)の中で降伏に反対するものは一人もいなかった。指導部の中で3人(陸軍参謀総長、海軍軍令部長、陸軍大臣)だけが、内容が「あまりにも不名誉」であるという理由から、交渉抜きの受諾に難色を示した。彼らは、連合国側が領土条件を緩めてくれることを期待したからではなく、天皇の地位が不明確のまま残されていること、また占領を回避し、武装解除と戦争犯罪裁判を日本政府の責任で行うことを求めていたのである。

 ポツダム宣言は、日本国民を決起させ降伏を早めるための解放戦略として受け止められていた。対日プロパガンダ、特にキャプテン・ザカリアスが制作、放送していたラジオ番組と同じようなものだ。しかし、日本での効果は全く逆だった。降伏を決定すべき政策立案者の立場からすれば、宣言は和平勢力より、寧ろ「徹底抗戦」派の力を強める効果しかもたなかった。ポツダム宣言の内容は、よくいえば「厳しく、贖罪的」、悪くいえば、経済条項は極めて漠然としていたし、特定されない戦争犯罪人の追及があまりに広範で曖昧だったから、それが指導部と全国民に対してもつ意味を理解できるものには、ただちには受け入れ難いものだったのも当然である。しかし、その過酷な条件にも拘らず、6首脳のうち3人は即時受諾に賛成していたのだ。

 しかし、私たちは和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。私たちはたった11日間待っただけで、いきなり1発の原子爆弾を、そしてさらにもう1発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な指導部の上でもない、2つの都市の約20万の市民の上に投下した。


 スチムソンは原子爆弾の投下を正当化して、「日本の独裁体制に確実なショック」を与え「我々が望んでいたように、和平支持勢力を強化し、軍部の力を弱める」ためには「優れて適切な武器」だったと説明する。しかし、米戦略爆撃調査の公式報告は、そのような「ショック」は必要なかったというのだ。

 同報告は、原子爆弾が投下されなくても、或いはソ連が参戦しなくても、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏をしていただろうという意見である。

(P147〜148)

『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9794435.html


隠された歴史を知らないといけません。

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この内容はショックです。

やはり日本は根っからの平和主義者だと改めて感じました。
posted by 田黒吾寛 at 00:46| Comment(0) | 事の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月03日

アングレーム続報 アングレームで開催の韓国慰安婦アニメはこれだ!!(動画有り)

昨日の記事で韓国の慰安婦アニメはAVのぱくりと書きましたが、そのアニメらしき動画が載っていましたので紹介したいと思います。

このアニメはニュースでも放送されましたのでいかがわしい事はありません。^^;
youtubeにUPされていました。


【慰安婦マンガ問題】フランス アングレーム国際漫画祭


1:18辺りから1:34までの16秒間

今回の事件は、新年早々、日本と外国のお国柄を韓国とフランスで十分認識させてもらった事件だったと思います。

まじめな雑誌のLe nouvelle observateurと、とくにCharenteのネット記事は、完全に韓国寄りです。河野談話、性奴隷、ナチの鉤十字、強制連行の数、歴史修正主義、極右。そしてNHK会長の発言とそれに対する日本の意見。それから「大使館は、歴史認識にたいして何の説明もしなかった」と開催側は言ってます。テレビラジオは、わたしのしる限り、なにも言ってません。

日本は、どうして歴史の過ちを直視しないか。原爆が落ちてよかったな、という無知な読者がいたので、わたしは、いま、とても不愉快です。

アングレームに来てる日本の出版社はどうして怒りませんか。どうして帰ると言いませんか。同じ国の日本人が失礼な扱いを受けましたよ。首相は、大使館は、外務省は、どうしてフランスに「失礼な態度を謝れ」と抗議しませんか。日本人がさげすまれ、盗まれ、壊されたのに。どうしてみんなこの日本人たちを守らないですか。このかたたち、えらいですよ。慰安婦は、一番日本人に嫌悪感を持たせる武器です。その最強の武器から、日本人を守ってくれようとしてます。日本国は、日本人は、彼らを守らなければ。

そして、また日本は、外国相手にやってはいけない、double discours をしてしまいました。NHK会長の「当時は、どの国も慰安婦がいた」発言を、「彼個人の発言で、国とは関係ありません」と発表しました。ネット記事に書かれてます。それでは、慰安婦問題を日本は韓国の言うとおりですと肯定したようなものです。ここは、国がNHK会長を守るべきです。だって、国の本音はそうでしょう?日本は悪いことをしたけど、それは、他の国と同じくらいで、ナチスほどじゃない。そうでしょう?私はフランス人ですが、会長に同意しますよ。このひと、正しい。だって歴史的真実でしょう。どうして日本の国は、外国の批判から日本人を守りませんか。

慰安婦の誤解で日本に嫌悪感を持つ外国から、日本に対する誤解を解くには、本音を言うしかないんです。

なにより外国は、もう、日本のお手本では、ありません。間違いします。だから遠慮しないで。

歴史の古傷を刺激されて、最初、反発あります。(でも、収まります。もっと重要な自国の問題があるから。)

むしろ外国からの反発、ありがとうです。あなたの隣人は、もうずっと好きなこと言ってます。日本も本音を言います。そうしたら、世界は、なんとかしろ、と韓国と日本に言います。裏じゃなく光の下で堂々と隣人と討論してください。そうしたら、あちらのおかしな言動が外国にも見えるでしょう。

日本人が尊敬されているか、それは、日本人の態度が決めます。怒らない、説明しない、日本に引きこもるは、日本を尊敬させません。日本が悪者だから身を引いたと思うからです。慰安婦についても、日本ブースを追い払ったのも、わたしは正しい、思います。この態度のままで日本人はいいのだと、軽蔑させます。被害者は、自分で訴えない限り、救ってもらえません。日本国に本音を言ってくださいと頼んで、日本人は、ろんぱ コムさんと、なでしこアクションさんの尊厳を守りましょう。わたしもがんばります。

今、怒ってるです。だから説教みたいです。読むのいやでしたね。

最後に、フランス人として、ろんぱコムさんと、なでしこアクションさんと、テキサス親父さんに謝ります。ごめんなさい。あなたたちは、フランスに対し、ものすごく怒る権利と義務があります。
http://daisukinipponfrance.over-blog.com/2014/01/%E4%BB%8F%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%99%E3%80%80.html


フランス記者も怒っています。日本は言うべき時に言わないととんでもないことになってしまうとつくづく思いました。

大人の対応は世界ではありえないのです。

慰安婦問題、竹島、在日朝鮮人など声を大きくして叫んでいきましょう。

韓国が一枚も二枚も上手だったのです。頑張らないといけないと思います。18.gif

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posted by 田黒吾寛 at 09:03| Comment(0) | 事の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

ナツミカン様のご質問にお答えします。安重根の伊藤博文暗殺の案件

フランス騎兵銃.jpg
フランス騎兵銃

ブローニング銃.jpg
ブローニング銃


ナツミカン様からご質問がありました。

お怒りはご尤もです。

文鮮明の妄想はもう置いておきたいです。・・・詳しく読むと腹立つしドンだけ歪曲してるのか!って怒鳴りたくなります。
やってることも完全に捏造韓国人たちそのままの統一教会です!
呆れます〜!

実際、伊藤博文暗殺の真実はどこに有ると思いますか?
伊藤を射殺したのは射撃角度から言って、安が致命傷ではなくロシアが暗殺したというような部分が見え隠れするのです。
併合反対していた伊藤を暗殺により、早急に併合になりました。
そのうまみを一番に収穫したかったその手引きの背景が、今一私のオツムでは整理がつきません。

田黒さんには、究極的にどのような関連が見えてきますか?

私に分かりやすく、見えているところを教えていただきたいのですが、よろしくお願い致します。
Posted by ナツミカン at 2014年01月22日 23:06


伊藤博文暗殺に関するブログがありましたのでここに転載します。

日露戦争終了直後の明治38年(1905年)11月17日、日本と大韓帝国の保護条約の方針が発表されると、韓国統監府が設置されることになり、伊藤博文が初代統監に就任しました。この頃、韓国の民衆パワーは公称100万人の一進会に結集されており、「李朝政府の外交権を日本に委任せよ」と大規模なデモが行われていました。伊藤が赴任してきた日にはソウルの南大門に「歓迎」の巨大な幕が張り出されました。
伊藤は4年後の明治42年(1909年)10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡しました。現在、韓国では安重根は英雄となっています。

元九州大学大学院客員教授の若狭和朋氏は伊藤博文暗殺の犯人は安重根ではないと指摘しています。氏によると伊藤博文には三発の銃弾が命中し、体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のものです。(もう一発は肉をそいで対外に出ている)安重根は7連発ブローニング拳銃です。まず、銃弾が異なります。伊藤に同行した貴族院室田義文も5発被弾し、犯人は安重根ではないと書き記しています。その内容の一部。

「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であった」

室田義文は伊藤公の遺体の処置に立会い、右肩を砕いて右乳下に止まった一弾と右腕関節を貫通して臍下(せいか/へそした)に止まった一弾を現任しています。ところが不思議なことに、検事の調書には室田が「騎馬銃」について述べた記録はなく、安重根を裁いたこうはん記録のどこにも「騎馬銃」の文字は出てこないし、遺体の処置に当たった医師の談話にも「騎馬銃」は出てこない・・・

若狭氏はここで外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」というファイルに以下の記載があるのを指摘しています。
「・・・真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか」として25人の名前を記しており、安重根の名前もこの中にありますが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織でした。つまり、安重根を犯人にしたてあげて外交的にも内政的にも幕引きにしたということです。ロシア特務機関がなぜ伊藤を狙ったかは若狭氏の記述は長いので簡単にいうと、日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたものの、その後、日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断しており、裏切り者として復讐したというものです。

よく言われているのは伊藤博文は日韓合邦慎重派で、日韓合邦に反対する安重根は伊藤を暗殺して日韓合邦を加速させたバカなテロリストだったというのがありますが、伊藤暗殺が日韓合邦の思惑の外であれば話はあってきます。少なくとも安重根の銃弾は伊藤には命中しなかったのは間違いないでしょう。彼はテロリストとしても成果は無く、韓国でいう義士としても成果は無かったわけです。



参考文献
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
「歴史通」2010/7『安重根は犯人ではない』若狭和朋
参考サイト
WikiPedia「伊藤博文」「安重根」
http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26814087.html


もう一つ興味深いHPがありました。

伊藤博文暗殺事件の深淵 上 
     (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)3月1日第377号) 

▼猿飛来(さつぴらい)は北海道の札比内と同じくアイヌ語の涸れた川「サッピナイ」が語源とされる。前九年の役で源頼義、義家父子が安倍貞任征討を祈願し屯ケ丘(たむろがおか)八幡宮に社を建立した折り駒ケ嶽(栗駒山)から猿が雲に乗り短冊を咥えて飛んできたことから、この名が付けられたとの伝承が地元に残る。仙台藩猿飛来村は慶應二年に近隣一帯と呼応し大規模な百姓一揆を起こし荒廃。その二年後には仙台藩主伊達慶邦(よしくに)が薩長軍に降伏し宇都宮藩取締地となる。三年後の明治三年に胆沢県、翌年には一関県、さらに一ヶ月後に水沢県の管轄と目粉しく変遷。その間に村々の統廃合も行なわれ地域民の疲弊は頂点に達する。加えて明治六年には地租改正により租税が物納(米)から現金とされ農民の負担は増大し土地を手放す者が相次いだ。明治九年に宮城県に編入された猿飛来が安定したのは、明治二二年の町村制施行以降とされる。
 自作農千葉新吉の三男千葉十七(とうしち)が猿飛来で産声を上げたのは明治一八年一月一五日、陰暦明治一七年一一月三〇日だった。名は陰暦から採られたもので、十七が尋常小学校に入学したのは明治二四年。教育令改正から既に一二年が過ぎ、四年間の義務教育は無料だったが、僻地では教師も学校も不足し尋常小学校と雖も寺子屋同然。高等科は有料となり隣町迄二里を四年間徒歩通学。高等科一年で日清戦争時の国威高揚を体験した三男坊の夢は軍に入隊し出世を続け特務曹長(准尉)迄上り詰める事。徴兵令規定の満二〇歳を待たず一七歳で甲種合格を果たした十七は両親の勧めに従い二〇歳で入隊するや憲兵を志願。四年後の明治四二年には憲兵上等兵として旅順の関東都督府陸軍勤務を命じられる。

▼大日本帝国が韓国を併合したのは明治四三年八月だが、韓国を保護国としたのはその五年前の明治三八年。初代総監は伊藤博文。併合に消極的だった伊藤は明治四二年四月に併合派の桂太郎首相、小村壽太郎外相との三者会談で併合を是認。翌五月に韓国総監を辞任し四度目の枢密院議長に就任。同年一〇月満洲視察の名目で哈爾濱(ハルビン)に向かう。目的は露国蔵相ココフツェフと韓国処理及び満洲鉄道問題に関して意見交換を行なうことにあった。
 同月二六日午前九時に哈爾濱駅に到着した伊藤は出迎えの露国蔵相と三〇分の会談後、駅構内で露軍儀仗兵を閲兵し居並ぶ各国外交団と挨拶を交わして在留邦人団に向かって歩を進めた。その時、露軍後方から近づいた斬髪洋装の青年が拳銃を数発発射。四メートルの至近距離から銃弾を浴びた伊藤はその場に倒れ、直ちに停車中の貴賓車に運び込まれ救急処置を施されたが間もなく死亡が確認された。
 伊藤公が哈爾濱駅頭で狙撃され午前一〇時に薨去せられたとの緊急連絡を受け旅順の関東都督府陸軍は厳戒体制に入る。清国領土内ではあるが哈爾濱は露国管轄下にあり警備責任は露国警察にある。警備容易な駅構内で韓国青年一人が狙撃したと聞いて千葉十七は愕然となると同時に憎悪の念がこみ上げ吐き気を催す程だった。翌二七日夜も明けやらぬ早朝、憲兵大尉日栄賢治以下一二名に哈爾濱行きの命令が下る。任務内容を聞かされぬ儘列車に乗り込んだ千葉十七の運命は此の時から思わぬ方向に動き出した。哈爾濱から狙撃実行犯安重根及び共謀容疑者八名を護送した後、旅順に於ける裁判から死刑執行までの五ヶ月間、千葉は看守として唯一人安重根を見守り続け、死後も合掌を続ける一生を送ったのである。

▼清国領土内かつ露西亜管理下の哈爾濱駅構内での事件であり狙撃実行犯は現場で露西亜警察に逮捕された。是に対し日本総領事は犯人引渡しを要求する。日本側の主張は、清国においては駅構内は治外法権であり日韓保護条約により日本は韓国の外交権を委嘱されており、韓国外に於ける韓国人保護も当然日本の責任というものだった。露西亜は直ちにこの要求を受け入れ実行犯安重根及び嫌疑者一六名並びに露国官憲が取り調べた調書類一切を引き渡している。

▼伊藤博文暗殺の真犯人は安重根ではないとする説がある。その最大の根拠は『室田義文(よしあや)翁譚』(常陽明治記念会発行、田谷広吉・山野辺義智編)の記述。室田は伊藤に同行し哈爾濱の狙撃現場で自身も銃弾を浴びながらも伊藤の遺体処理に立ち会い右肩から入って心臓手前で止まった一弾と右腕を貫通し臍下に至った一弾を現認。弾丸は仏式騎兵銃のもので安重根のブローニング拳銃弾ではなかった。弾は上から撃ち込まれており駅舎にいた安重根とは別に哈爾濱駅二階食堂から狙撃した人間がいるとする。外交史料館の『伊藤公爵満洲視察一件』と題された綴りにも「凶行首謀者及ヒ凶行ノ任ニ當タル疑アル者」が安重根以外に二四名存在したと書かれている。安重根真犯人否定説の論拠は、単独犯行説は事実掩蔽の為の捏造、さらに真犯人は露国在住韓国人楊成春で事件後暗殺された、また伊藤博文の訪満は極秘裡に進められた事案であり、当該日時に哈爾濱駅で待ち伏せした背後に相応の組織が存在したはず、等々である。 (黄不動)★
http://michi01.com/ohudohsama/377jyt26730301.html

伊藤博文暗殺事件の深淵 下 
     (世界戦略情報「みち」平成25年(2672)3月15日第378号) 

▼明治四二年一〇月二六日に哈爾濱(ハルビン)駅で伊藤博文が狙撃された事件に関し、処刑された安重根は真犯人ではないとする説がある。安重根以外の人間が哈爾濱駅二階食堂付近から仏式騎兵銃で狙撃したとする説と、実行犯は安だがその背後に巨大な闇組織があったとする説だ。背後として露国やロスチャイルド、さらには日本の右翼団体なかでも杉山茂丸説が強い。これらを整理して暴論を排除しておく必要がある。

▼伊藤の哈爾濱行、露国蔵相との会談は極秘情報だったとする話もあるが此れは論外。韓国各紙は伊藤の旅程、目的を詳細に報じ駅到着予定時刻も第一面冒頭に掲載。被弾直後伊藤は「三発當った、誰だ」と叫び正面に現れた男の銃弾を浴びたと発言。一発は右上膊を穿通して第七肋間に水平に射入、二発目は右肋関節を通して第九肋間に、三発目は上腹部中央右より射入し左腹部の中に、何れも盲管銃槍で弾は体内に留まった儘。医師は三弾全てが致命傷になったと判断。随行者の室田義文(よしあや)は遺体から仏式騎兵銃弾丸摘出を現認としているが、伊藤公の尊厳を損なうとの理由で司法解剖は行なわれていない。最後尾を歩いていた室田は自身も五発被弾したというが疑問。室田の談話が掲載された『室田義文翁譚』は事件から二九年後、室田没後に翁から話を聞いた者たちの思い出話として刊行された書で、本人の知らぬ處で勝手に修飾増幅された可能性が高い。
 安重根は七発を撃ち尽くし伊藤に四発撃ったと自供。安は伊藤の顔を知らず先頭を歩く者が伊藤だと思い四発連射。間違っている可能性もあると、後方から歩く二人に三発を速射した直後に露国官憲により取り押さえられた。裁判及び外務省記録では伊藤が三発被弾、秘書官森泰二郎、哈爾濱総領事川上俊彦、満鉄理事田中清次郎が手足胸等に貫通弾とある。相当後方に居た満鉄総裁中村是公も二発被弾との説もあるが公式記録に中村被弾はない。他にも安狙撃を否定する情報等はあるが、現場に居合わせた露国蔵相、外相、陸相、アムール総督も詳細な証言を残し、また在留邦人の供述もすべて安重根による単独狙撃としており、疑念は一切存在しない。
 問題は安を操った黒幕が存在したか、黒幕は何者かである。日露戦争を含む対露謀略の首謀者として露国特務筋が伊藤を処刑したとする説もあるが、当時の国際情勢を見誤った戯言。露側が満鉄権益に関し伊藤を最大の交渉相手としていた状況下での暗殺は考え難い。ロスチャイルド説は理解もできるが具体的証拠は一切ない。日本の右翼組織、中でも杉山茂丸首謀説は納得できるが憶測に憶測を重ねた論で物証は無い。謀略説は好奇心を煽るが注意すべきは悪意ある捏造が流布される点にある。処刑された安重根を正視する作業も肝要と思われる。

▼事件直後僅かでも関与の可能性がある者は二〇余名とされ一六名が訊問対象となり最終的には安重根他八名が容疑者として旅順に護送された。看守として死刑執行まで安を見守り続けた憲兵千葉十七は当初は憎悪を滾(たぎ)らせていた。然し安の起居行動全般を見るに異様な清廉さを感じざるを得ない。会話を交わす機会は殆ど無かったが訊問や調書を通して千葉は安の素性を理解する。安の祖父は鎮海郡守を勤めた両班(ヤンバン)。老いた母と妻、二人の幼子を残し明治三八年の日韓保護条約締結後に義兵団に入り、二年後には参謀中将司令官として豆満江周辺で日本軍と数度の銃撃戦を繰り返す。露国の支援協力が細り、より過激な地下活動展開を求めて明治四二年正月に同志一二名で断指同盟を結成、安は盟主となっていた。維新後、薩長政権により辛酸を嘗めさせられた故郷に通じるものが韓国にある。正義は新政権にあったが疲弊困窮するのは民のみ。語らずとも千葉の思いが安に伝わったのだろうか、その後二人は気脈を通じさせる。獄中で安が執筆した『東洋平和論』は今日も正論として受け止める事ができる。
 安の主張は訊問裁判を通して微塵も変わらなかったが、最後の一瞬に看守である千葉十七に対して、自身に仁の心が欠けていたと頭を下げ、為國献身軍人本分(國の為身を献げるは軍人の本分)と認めた書を手渡す。以来千葉は死ぬまで安重根を祀り合掌を続ける日々を送る。

▼安重根は明治四三年三月二六日に処刑。同年八月、日本は韓国を併合する。韓国併合はブリタニカの英語表現では「annexation」と表現される。植民地化「colonization」とは異なる同等合併を意味し、イングランドがスコットランドを合邦(一七〇七)した時と同表現。日韓併合の根底に日韓同祖論があった。古代史の際限の無い物語の中に異論は多々あるが、同祖と語る意義は存在する。日韓併合が百年も続いていれば両民族の理解は遥かに進んだと思われるが、今となっては叶わぬ夢。事大主義と戦後教育で反日感情を露にする半島の民に、同水準で敵愾心を燃やせば安重根の『東洋平和論』は遠ざかるのみ。安の遺墨は昭和五四年に韓国に渡されたが、千葉十七の思いを引き継ぐ作業は微かながら今日尚続いている。
(黄不動)★
http://michi01.com/ohudohsama/378jyt26730315.html


以上のことからも伊藤博文は3発の凶弾に倒れた事は事実です。そして銃弾がフランス騎兵銃だったのが随行者の室田義文が銃弾摘出で現認しています。

未だに謎のままの伊藤博文の暗殺事件。霊界に行って伊藤博文と、安重根に聞いてみたいものです。

ですが、安重根というのは、家庭をも顧みずに抗日運動に参加しているバリバリの抗日だとおもいます。

東洋平和論も、獄中で書いたものです。暗殺前の心境を綴ったものでは無い事が気になります。何故なら、獄中での経過時間が何らかの影響を及ぼしているのでは無いかと思えるからです。

つまり、暗殺前は日本憎しでとりあえず伊藤博文だけを暗殺すれば日韓併合は無くなる。という考えがあったのではないかということです。
そして獄中では当時も今も変わっていませんが、事体主義です。環境や時間経過によってブレまくりなのは朝鮮人には普通のことです。ですから、日本は好きだけど東洋の平和のために止む得ず暗殺した的な言い回し等も考えたのでは無いかと思えるのです。

しかし、暗殺当時日本を動かしていた伊藤博文の肩書きは枢密院議長です。韓国統監府の長でもない伊藤博文を狙った安重根は根っからのテロリストだったのです。

肩書きを見ても分ると思いますが、
安の祖父は鎮海郡守を勤めた両班(ヤンバン)。老いた母と妻、二人の幼子を残し明治三八年の日韓保護条約締結後に義兵団に入り、二年後には参謀中将司令官として豆満江周辺で日本軍と数度の銃撃戦を繰り返す。露国の支援協力が細り、より過激な地下活動展開を求めて明治四二年正月に同志一二名で断指同盟を結成、安は盟主となっていた。


・日韓保護条約後に義兵団に入る。
・二年後、参謀中将司令官として豆満江周辺で日本軍と数度の銃撃戦を繰り返す。
・より過激な地下活動展開を求めて明治四二年正月に同志一二名で断指同盟を結成、安は盟主。

日韓保護条約後ですから、1905年から暗殺された1909年の4年間抗日運動を行っていたのです。

しかも当った銃弾はフランス騎兵銃・・・。勘違い銃弾外しテロリストと言ったところでしょうか。

こういうテロリスト思想を男性たちの思想と肯定することは、文教祖はテロリストを認めたことに他ならないと思います。

アルジャジーラも、ジハード、自爆テロも、9・11も文教祖にとってはありなのだと思います。

答えになって無いかもしれませんが、ナツミカン様これでいかがでしょうか。

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まあ、いまだにわかって無いので、私たち凡人があーでもないこーでもないといってもしょうがないのはしょうがないのですが、真相は闇の中と言ったところでしょうか?
posted by 田黒吾寛 at 20:17| Comment(4) | 事の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

自ら独立を勝ち取った国家と、外国に解放してもらった国家では《品格の差》が滲(にじ)み出る。

インドネシアスディルマ将軍.jpg
2011年1月14日、インドネシアから防衛省に寄贈されたスディルマン陸軍大将(1916〜50年)の銅像の除幕式後、像の前で握手する北沢俊美防衛相(当時、右)とインドネシアのプルノモ国防相。将軍は大日本帝國陸軍から不屈のセイシン(精神)を学び、インドネシアの独立戦争を戦い抜いた(防衛省提供)


【軍事情勢】インドネシアと韓国 2体の像に矜恃の差

 自ら独立を勝ち取った国家と、外国に解放してもらった国家では《品格の差》が滲(にじ)み出る。歴史を正視できる《矜恃(きょうじ)の差》と言い換えても良い。

 矜恃あるインドネシアは、防衛省に2011年、大日本帝國(ていこく)の軍人・官吏から不屈の「セイシン(精神)」を学び、対オランダ独立戦争を戦い抜いたスディルマン陸軍大将(1916〜50年)の銅像を寄贈した。独立戦争指導者より初代国軍総司令官となった将軍は、教科書や士官学校の戦史教育で登場。目抜き通り名にまでなった。

 片や韓国。日本の敗戦後、米国が解放した。帝國陸軍の教育を受け聯合(れんごう)軍と戦い、朝鮮戦争(50〜53年休戦)で韓国を救った朝鮮人の英雄は皆、売国奴・悪人として歴史上抹殺され、将軍のような誇れる英傑がほとんどいない。結果、朝鮮併合に反対した初代朝鮮統監・伊藤博文(1841〜1909年)を暗殺してしまう頓珍漢な朝鮮人テロリスト安重根(1879〜1910年)の像を暗殺現場に建立したいと、中国に泣きついた。

 日本がもたらした“DNA”で自信を付けたインドネシア。自信を付けようと“DNA”を断ち切ったはずが、自信が持てない韓国。2体の像に、大人と子供ほどの成長の違いを感じる。

 叩き込まれた「三訓」

 インドネシアは17世紀以降350年にわたりオランダの過酷な植民地支配に苦しめられた。徹底した愚民政策で、利用価値のある一部を除き教育・医療を受けさせず、私有財産も認めない。集会やイスラム教の信仰も禁止した。

 ところが1942年、帝國陸軍はわずか9日間でジャワ島の聯合軍を降伏させ、圧政より解放した。現地の人々は日本の将兵が自分たちと同じ小柄で、同じ肌の色であることに驚く。12世紀以来の言い伝えを噛み締めた者も数多(あまた)いた。

 《外部より侵入した白い人間に支配される時代が続く。その後、北から黄色い人間が来て、白い人間を追い払う》

 《黄色い人》は善政を実行に移す。《蘭領東インド》を《インドネシア》に改称。公用語を蘭語からインドネシア語に改めた。国旗掲揚・国歌斉唱を復活させた。独立を見据え、インドネシア人を官庁・企業の次席級を含む高職位に就け、各種の学校を開校。逮捕・監禁された独立運動家も釈放した。

 ただ小欄は、インドネシア独立に最も強く直接影響したのは郷土防衛義勇軍=PETA(ペタ)創設だと思っている。終戦時には3万8000人まで膨れたインドネシア人による義勇軍は、後の独立戦争(1945〜49年)→国軍創設の核となる。《帝國陸海軍の傀儡(かいらい)》との指摘は少し違う。確かに、帝國陸軍の兵力不足を補う側面は認められる。ただし、インドネシア指導層にも、完全な独立達成に国軍創設は不可欠という深刻な危機感があった。

 帝國陸軍はペタ幹部候補生に直接軍事教育を行った。「正直であれ/勇気を持て/常に前進せよ」の三訓が叩(たた)き込まれた。今尚(なお)、国軍退役将軍は「ソッセンスイハン(率先垂範)」を諳(そらん)ずる。日本人教官は完全武装しヒルだらけの川を渡るなど、身を以て手本を示した。触れたこともない祖国の歴史や世界情勢の座学もあった。斯くして、訓練は厳しかったが優柔不断・小心臆病だったインドネシア人は次第に死への恐怖を克服し、愛国心を覚醒させていった。

 真理を見極められる姿勢

 スディルマン将軍や第2代大統領スハルト(1921〜2008年)もその一人だった。日本の敗戦後、反攻してきた蘭軍12万と英・豪軍相手に80万ともいわれる犠牲者を出す4年5カ月の死闘を制したのは、国際世論の変化にも助けられたが、日本の軍人・官吏らの熱き指導あったればこそ、と断じたい。

 指導だけではない。残存の3万丁の各種銃器や手榴弾(しゅりゅうだん)9500発、数百の野砲・トラックを敗戦後、密(ひそ)かに供与した。

 兵器だけではない。教え子に請われ、また途中で挫(くじ)かれた東亜新秩序樹立を完結させんと、終戦後もインドネシア軍とともに戦った帝國軍人も多い。残留将兵2000〜3000の内400〜1000人が独立戦争で散華。国営英雄墓地などに埋葬された。一部は独立名誉勲章を受けた。

 もっとも終戦4カ月後、独立を焦る余り、一部組織が日本の陸軍将兵・国民を一方的に虐殺し武器・食料を略奪した。帝國陸軍は抑止のため、極めて抑制的な報復攻撃を加えた。この時、多数の無辜(むこ)のインドネシア人が巻き添えになったが、インドネシア側は後に複数の検証により自らの非を認めている。

 片や嫉妬に狂う国

 歴史・真理を冷静に見極められる姿勢は今も変わらぬ。1990年代に突如浮上した“インドネシア人慰安婦”問題では、日本の左翼系弁護士らに焚きつけられた策動だと看破し、政府もメディアも弁護士らに不快感を持った。2007年の防衛庁省昇格では、国防相が歓迎し「日本国憲法第9条改正」にまで賛同。「自国防衛を強化して、米国に委ねる度合いを減らしつつ…」などと、独立を自ら掌中に収めた誇りさえ垣間(かいま)見せた。

 集団的自衛権行使や憲法改正による国防軍保有にも13年、安倍晋三首相(59)と会談したスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領(64)がこう言い切った。

 「完全に合理的な考え。防衛力を持った日本は地域安定のプラスになる。全く賛成だ。何の問題もない」

 靖国神社参拝でも大統領は「国のために参拝を行うのは当然」と明言する。韓国との違いはどこから来るのだろう。インドネシアの閣僚が1957年、岸信介(きし・のぶすけ)首相(1896〜1987年)に伝えた言葉に答えを見付けた。

 「日本が米・英・蘭・仏を面前で徹底的に打ちのめしてくれた。白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、これからの独立は自力で遂行しなければならないと思った」

 なるほど。「アジア」ではない南米スリナムは、インドネシアの独立宣言後30年もたってオランダから独立した。しかし「アジア」には「独立に関し、一度も自信を持てない」国、「独立を自力で遂行できなかった」国も在る。

 韓国。

 《歴史の不完全燃焼》は嫉妬に狂う炎となり、国家の品格・矜恃まで焦がしている。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)

http://www.sankeibiz.jp/express/news/140112/exd1401120830001-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140112/exd1401120830001-n2.htm
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140112/exd1401120830001-n3.htm
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140112/exd1401120830001-n4.htm
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140112/exd1401120830001-n5.htm


インドネシアなど東南アジアの国々を見れば朝鮮人が人格障害だという事がよく分ると思います。

まさか、国全体が人格障害だとは誰も気付きません。まして明治時代なら尚更です。明治時代の日本政府が朝鮮に良かれとした事が却って仇になってしまったのも国全体が人格障害だったからという理由なら納得も出来ます。

そういう国全体が人格障害の朝鮮人となんで、共存共栄共義などできるでしょうか?絶対に出来ません。

共存共栄などと言っても所詮自分の事しか考えない事は明白ですし、過去の歴史を見ても、現代の朝鮮人の動向を見ても分るともいます。

また、統一教会の村には厨房のDQN記事が上がっていましたが、もう反論する気もおきないほどのDQNぶりでしたし、数学も、漢字も、日本語の文法も指摘されまくりの内容でした。

まあFランなら合格するんじゃね?ってところでしょうか。そのなかで統一教会信者は現実を見て無いということなのです。

いまやネトウヨなどという輩は左翼かそれに凖ずるひとたちが使う言葉であって、ちょっと靖国参拝賛成と言ってもネトウヨとレッテルを貼っていくのが彼等のやり方なのです。

左翼など、直ぐにレッテルを貼る人々なのです。最近では、ヘイストスピーチとかネトウヨとか、レイシストとか性奴隷とかそういうのを良く考えつくものだと感心します。

そういった意味では朝鮮人も直ぐにレッテルを貼って日本を攻撃してきます。統一教会信者も同様です。彼等は、すぐに「サタン」という脅し文句ともいえる究極の文言があるのです。
サタン カイン的 不信仰とレッテルを貼りたがるのです。

これが擬似朝鮮人化している日本人なのです。信者の思考は画一化されていてみな同じ思考で無いと少しでも外れたらサタンやら分派などといって排除してしまうのです。

日本人の持っている人それぞれという思考はそこにはありません。

そのうち信者もだんだんと人格障害が出てくるようになると思います。何故なら、朝鮮人の思考を継承しているからであり、その根底は李氏朝鮮の儒教なのです。元々李氏朝鮮の儒教は清・明でも朝鮮腐儒と呼ばれ蔑まれていたのです。

朝鮮人はシナから徹底的に虐待を受けました。全て言いなりであった事はご存知のとおりです。王子の封冊から、旗、朝鮮という名前、法律に至るまで全て宗主国に許可を貰わないといけませんでしたし、毎年に2万人とも言われる美人の女性をシナに差し出さないといけなかったのが李氏朝鮮なのです。
そういった中で残ったのがカスだけになったのです。カスとカスが生まれて、またまたカスが出来るという風にそれが500年も続いたのです。カスの凝縮が出来るのは明白です。

そこにカスの塊にメシアが生まれる?ありえません。全てはご都合主義なのです。

このご都合を今は日本叩きと日本に擦り寄る力と同時に行なっているのです。反日なのに日本にすり寄るというわけの分らない思考なのです。普通の人々は矛盾していると思うのですが、朝鮮人は成り立っているのです。そして極普通のことなのです。何等矛盾を感じないのです。

こういう病気の国とは縁を切るべきなのです。

共存共栄など絶対に出来ません。片方が滅びるのです。この場合、日本が滅びてしまいます。日本が日本として存続する為には朝鮮と縁を切り、国交断絶、朝鮮人帰国事業を日本政府は推し進めなければなりません。

そして日本人がもっともっと朝鮮人と関わることの危機感を持たないといけないのです。いつ手を噛まれるか分らないと言う危機感を、近くに居ると何されるかわからないという危機感を日本人一人ひとりが持つべきなのです。朝鮮人はそういった意味では狡猾ですから微塵も危機感を感じさせないようにやってくるのです。

そして機が熟したら裏切るのです。これが朝鮮人クオリティなのです。ですから、朝鮮人幹部など一国も追い出すのが一番なのです。

これ以上日本を荒らされないためにも一日も早く帰国してもらいたいとおもいます。

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posted by 田黒吾寛 at 00:07| Comment(2) | 事の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月24日

旧皇族・竹田恒泰氏が「在特会」擁護? 「いいこともした」発言に賛否両論。朝鮮の新聞が記事に、掲載速すぎっ!!

旧皇族・竹田恒泰氏が「在特会」擁護? 「いいこともした」発言に賛否両論

竹田恒泰さんといえば、明治天皇の玄孫という「やんごとなき」出自とスマートな語り口で知られ、慶応大学で憲法学の講師を務める一方、『旧皇族が語る天皇の日本史』など多数の著書でも人気だ。父の恒和氏はJOC会長でもある。ところがこの竹田さんがテレビ番組で「在日特権を許さない市民の会(在特会)」を擁護するような発言を行ったとして、いま賛否両論が上がっている。
「在特会は、いいこともしたんです。喋っている内容がいいというわけではなくて、在特会が活動したおかげで、在日の特権というものの問題が明らかになったわけです」

「韓国側の慰安婦像の方がえげつない」

問題の発言があったのは、2013年10月20日の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ系)だ。時事問題などについて出演者たちがまさに「そこまで言っていいんかい」という過激な議論を繰り広げることで人気が高く、東京を始めとする未放送地域では、「なんで放映しないんだ」という不満の声も少なくない。
この日番組では、「在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ」という議題が用意された。これに竹田さんを含め、8人の出演者は全員「容認できない」との見解を一応示す。
しかし――と竹田さんは、在特会を一概に否定することに疑問を呈する。「私はああいう表現はしない」「表現についてはいろいろ意見が分かれる」と断りつつも、上記のように在特会の活動を通じて、「在日の特権」が国民に知られるようになった、と一定の評価を与える。そしてその具体的な「特権」として、いわゆる「通名」の存在を挙げ、これにより犯罪歴などを消すことができる、などと説明、
「在特会には在特会の意義はあったと思うんですね」
と締めくくった。
他の出演者からも、
「反対側の『レイシストをしばき隊』とかいうのがあって、(在特会と)同等かあるいはそれ以上に強烈な連中。そっちが報道されていないのが問題」(井上和彦さん)
これをとやかく言うなら、日本大使館の前の慰安婦像、あれの方がえげつないと思う」(桂ざこばさん)
といった発言が続々と上がる。総じて、言い方はとにかく主張は理解できる、韓国も同じようなものだ、という論調だ。

当人は自らへの「支持」ツイートをRT

竹田さんが言及した「特権」問題は、そもそもこうした特権が存在するかどうかが議論の対象とされる問題だ。またその名の通り、在特会が掲げる根本的なテーゼの1つと言っていい。
直後から、ツイッターなどで在特会などに批判的なユーザーらから反発が相次ぎ、放送倫理・番組向上機構(BPO)に訴えよう、という声も盛り上がった。一方でこうした声を「在日の圧力」などと決め付ける人々も出るなど、その是非が一気に問題化した。
21日には、上野千鶴子さんや佐高信さん、村山富市元首相などが立ち上げた反ヘイトスピーチ団体「のりこえねっと」が、「人種差別的な重大な人権侵害行為」として、竹田さんと読売テレビへの抗議声明を発表した。声明では、「在日コリアンだけが『通名』(通称名)を名乗ることが許されているわけではない」などとして、通名が犯罪などに利用されているとの竹田さんの発言を「客観的な事実に基づかない」と糾弾している。このほか大阪市の「コリアNGOセンター」も、22日に読売テレビに抗議を申し入れている。
J-CASTニュースの取材に対し、読売テレビは「(のりこえねっとの抗議については)当社に直接接触が来ていないので、お答えすることはございません」と回答するに留まった。当事者である竹田さんは現時点では発言を行っていないが、ツイッターで、
「反日の左翼・朝鮮人連中が某番組で在日特権に言及し、在特会寄りの発言をしたという竹田恒泰氏を潰すと息巻いているらしい。もし、明治天皇の玄孫でいらっしゃる竹田氏を潰すことができるなら、まさに在日特権の存在を自ら証明するようなものだね(爆笑)」
などといった、自らへの支持の声を複数リツイートしている。
在特会とテレビをめぐっては、俳優の今井雅之さんの番組中での発言に反発した在特会側が9月27日付で、TOKYO MXに抗議する騒動が起きている。
http://www.j-cast.com/2013/10/22186883.html?p=all


竹田氏のそこまで言って委員会の発言に対して早速噛み付いてきたのが朝鮮の新聞です。
相変わらず天皇陛下のことを日王などと書いています。

▲竹田恒泰が今月20日、読売テレビ番組に出演して‘在特会’活動を擁護する発言をしている。

「天皇(日王)は神の子孫です。」

日本王室出身の論客が日本社会に右傾化旋風を起こしている。テレビ番組、トークショーなどで軽いトーンで愛国主義を説明するやり方が特に青年層の共感を得ながら彼に追従する集まりが急成長している。

先月、東京慶応大で‘竹田研究会’主催で開かれたトークショーで250人余りの聴衆は明治日王のやしゃご(孫の孫)の竹田恒泰(37・慶応大講師)の講義に熱を帯びた声援を送った。講演主題は日本の国歌の‘君が代’。日本の時事週刊誌<アエラ>は「噺家を彷彿させるほどの話術で、講演会場に笑いがあふれ、3時間を超えて行なわれた講演にも先に席をたつ人は殆どいなかった」として「20〜30代参席者と女性たちも多かった」と伝えた。

竹田は全国各地を回って開催するトークショーを通じて日本の歴史、神話と憲法、王室などを素材に‘尊王(王を尊崇するということ)と愛国主義を鼓吹している。日本の歴史・神話、憲法問題、王室などをテーマにしたトークショーは竹田の派手な話し方とウィットある進行によって、特に若年層が気軽に彼の理念を受け入れている。

竹田の‘ファンクラブ’の様な竹田研究会も急成長している。‘保守の気概を持った健全な先導者育成’を掲げた竹田研究会はホームページに「‘日本の輝き’を取り戻すために日本を楽しく習う場所を提供する趣旨で全国で定期連続講座を開催している」と明らかにした。

研究会側は「最初30人だった会員が8000人に至り、15都市で研究会が結成されている」としたがアエラは登録会員数が2万8000人に達すると伝えた。竹田はまたインターネットに‘竹田恒泰チャンネル’等を作って安倍総理の靖国参拝などを促す内容の動画などを上げる一方、愛国主義書籍を相次いで出版した。

今年9月発行されてベストセラーになった<日本人はいつ日本が好きになったのか>で竹田は「(韓国が)表向きは法治国家体制を整えているが、実際は前近代的な人治国家」と攻撃した。竹田は今月20日放映された読売テレビ(関西地域の民放)番組で在特会(在日特権を許さない市民の会)の嫌韓デモと関連して「彼らの活動で在日の特権が明らかになることになった」とし、「例えば在日が通明(実名の代わりに日常生活で書く名前)を日本式に変て犯罪履歴などを削除し、新しい犯罪を犯すことができる」と主張して人権団体の反発をかっている。

竹田一族は日本の第二次世界大戦敗戦後の1947年、米軍政によって王籍を離脱したが彼の父親の竹田恒和(65)が日本オリンピック委員会会長を引き受けるなど日本社会で影響力を維持している。

ソ・ウィドン東京特派員

ソース:京郷新聞(韓国語) 日本王家出身30代論客...右傾化勢力伸ばし
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201310231558021&code=970203

関連スレ:
【たかじん】「在特会よりしばき隊の方が酷いのに報道されず」-ネット「在日朝鮮・韓国人が竹田氏を潰すなら在日特権の実証」[10/22]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1382441899/


このことはかなり効いていると思われます。

朝鮮人は力で封殺しようとします。一日も早く国交断絶、64万人在日朝鮮人帰還事業。台湾国交再樹立を目指すべきです。

日本の多くの若者が日本を憂い、朝鮮人を嫌っていく姿は何とも頼もしいと思うこの頃です。

どこぞの団体の人は朝鮮人を信じて借金漬けやら、自己破産やらしている方もいますがそれは自己責任でしょう。肉なる不幸を喜びとしている団体ですから。

その為に親子関係もうまく言ってないところも多いとか、子供が3ヶ月も家出をしたくなるような家族関係がその事を証明していますが、それも自己責任でしょう。

年取ってから年金も貰えず、息子は娘は祝福を受けて近くに居なく、しかたなく70になって生活保護に頼るような真似だけはしないで下さいね。

献身者のみなさん、公職者の皆さん国に頼ってはいけませんよ?それは都合が良すぎるってもんですよ。

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posted by 田黒吾寛 at 16:41| Comment(4) | 事の真相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする